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思考も歩行も飛び石に(13)

偶をジェネレートし知遊する作法

「雑」があるから「偶」がある

府中を歩き、家に戻って調べてみて、いろいろ面白い発見があり、次の府中・市川 Feel℃ Walk の目算がついたのが十日前。それから「市川たんけん」についてはとりあえずそのまま。

その間、日々、日常の行き来でいろいろなものと出会ったり、仕事でいろいろなことを考えたり、打ち合わせでいろいろなことを語り合ったり、直接、「市川たんけん」について考えることはない。しかし、それは「市川たんけん」につながる「雑」がどんどん豊かになっているということだ。

数日前、朝風呂の湯船の中で、皇位委譲で元号の変わる2019年を、1867年の大政奉還になぞらえたらどうなるか?と妄想した。今年、56歳の私が、大政奉還の時に56歳だったとしたら、誰に当たるのだろうと考えたわけである。1867年に56歳だから1811年生まれ。誰がいるか調べてみると佐久間象山が現れた。変人思想家で私塾で革新的な企みを行い、大砲や電信機など様々な発明をしたイノベーター。自分にかぶる部分もあるし、憧れる部分もある。ちょっとここは違うなとか、かなわないなという部分ももちろんある。

佐久間象山についてちょっと追いかけてみるだけでそんな気づきがあった。ただし、その追いかけ方は、自分主導というよりも誰かによって巻きおこされた「偶発コラボレーション」に遊ぶやり方だ。今、述べたことをフェイスブックに投稿し、反応してくれた友達とのやりとりに誘発されて進めたのである。日常ウォークの中でも「象山」というキーワードがふわふわ頭の中を漂っていると、その痕跡を自ずととらえてしまう。「偶発コラボレーション」にジェネレートされて、野毛山公園で佐久間象山を発見。横浜開港の先覚者は象山だったことがわかった。

「象山」と「市川たんけん」はもちろん関係ない。「象山」関連知識は、「市川たんけん」にとっても、日常手がけている仕事においても「雑」にすぎない。しかし、こうした「雑」が、突如思わぬ「偶」へと変わる。

どのようにしてそれが起こるのか、そのことを記録しておきたい。

横浜の野毛山で象山を発見したことについての投稿を読んだ友人から、「野毛」が気になってウィキペディアで調べたという返信をもらった。その方は世田谷の「野毛」近辺に住んでいて、ふと「野毛」ってなんだと気になったというわけだ。すると「野毛」には「がけ」という意味があると言う。なるほど横浜の野毛山は急な崖の上にあるし、世田谷の野毛も国分寺崖線に面している。

「崖の上のポニョは上野毛のポニョ」

という遊び心いっぱいの返信までもらい、愉快な気持ちになった。

すると、ふと別の「雑」がうごめく。府中を Feel℃ Walk したときに熊野神社古墳の展示館で見た地図だ。

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多摩川沿いの河岸段丘の崖の上には、古墳が連なって存在している。この地図の範囲の調布を超えて世田谷の「野毛」、そして田園調布のあたりまで、国分寺崖線上に古墳が多くある。「ノゲ」と呼ばれる河岸段丘による「崖」の上に「ポニョ」ならぬ「古墳」が作られたのである。

ここで新たな「雑?」が働く。

国分寺崖線には「ハケ」と呼ばれるところがある。「ノゲ」が崖なら、「ハケ」も崖か?

ということで今度は自分でウィキペディアを探ってみる。

すると、「ハケ」は「ママ」、「ノゲ」などとともに、縄文時代に起源をもつ傾斜地、崖線、地形の崩れを指す古い言葉ではないかと考えられていることがわかった。

多摩川沿いの河岸段丘の崖線は「ノゲ」とか「ハケ」とか呼ばれ、そこに「古墳」が作られたということが確かめられると、突然、「市川たんけん」がジェネレートし始める。

「ノゲ」「ハケ」だけでなく「ママ」も崖という意味だとウィキ先生は言っていた。

「ママ」とは「真間」。京成線に「市川真間」という駅があり、「真間の井」「真間の手児奈」の伝説があるように、下総・市川に「真間」と呼ばれる地名がある。そこは確かに崖下に位置し、崖上にはやはり古墳が作られた。

 

ということは「市川」とは、国府の近くで、斎(いつき)に関連する禊の儀式が行われる「崖」の下を流れる川というのが元々の意味なのではないかという「推理」がジェネレートする。

国分寺崖線の国分寺付近は「ハケ」。ずっと下って世田谷あたりだと「ノゲ」。そこには今のところ「市川」は見つかっていない。

 

では、府中・市川たんけんの結果見つけた府中崖線の下を流れる「市川」沿いには、下総・市川と同じように「ママ」と呼ばれるところがあるかもしれない。

早速調べてみると……

国立市の矢川の近くに「ママ下湧水」というところがあるではないか。市川との関連を地図にするとこうなった。

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矢川のあたりは府中崖線よりさらにもう一段下の青柳崖線で、その崖下にある湧水が「ママ下」と呼ばれている。ママ下湧水の流れは、まさに市川と呼ばれるかつての多摩川の名残の流れであり、現在は府中用水と呼ばれている川である。やはり「市川」は「ママ=真間」と呼ばれる「崖」の近くを流れていた。

この府中近辺の地図を見ているとアナロジー感覚がジェネレートする。「市川たんけん」のそもそものきっかけとなった太秦でたまたま発見した市川神社に戻る。太秦の南西に桂川が流れている地形が、府中の南西を多摩川が流れる地形と似ているような気がしてきたのだ。

そこで「太秦 地形」という検索ワードでググってみた。するとリストの4番目に

太秦・嵯峨野地域の遺跡5 京都市埋蔵文化財研究所

という PDF があった。なんとなく面白そうだなと思ったのでとりあえず開いてみると、下のような興味深い地図を見つけた。

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この地図を下の府中近辺の地図比べてみよう。地形がそっくりではないか。太秦は桂川のつくりだした河岸段丘の上にあり、その付近にはやはり古墳が分布している。ただ、太秦は、武蔵と違って台地下の低地にも古墳がある。

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かつて山城国の国府がおかれたことのある太秦の中心は広隆寺や元糺のある木嶋坐天照御魂神社である。そこに隣接した低地に市川と呼ばれる場所や市川神社があった。武蔵府中の場合も武蔵国府と大国魂神社に隣接して市川と呼ばれる場所があった。こちらの場合はそこに「市川」という名の川が流れていた。

武蔵府中において多摩川と並行して古多摩川の「市川」が流れているように、太秦の場合も、桂川と並行して「有栖川」が流れている。しかし、府中の市川が現在の多摩川から分かれた流れなのに対し、有栖川は桂川の支流として流れこむところが異なる。

では「有栖川」と「市川」の間に何かつながりがあるだろうか。早速、有栖川についてググってみるといきなり大きなヒントが見つかった。

京都観光のオフィシャルサイトで有栖川を調べると、有栖川は「斎川(いつきかわ)とも呼ぶと書かれていた。別のサイトにも、「斎川(いつきかわ)」と呼ばれたのは「禊の行われる川」だったからであり、有栖川の畔に建てられた野宮で、伊勢神宮に送られる斎宮(いつきのみや・さいぐう)の禊、祓いなどが行われていた場所だと記述されていた。

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やはり「市川」は「市場のそばを流れる川」ではなく、国府や都の近くで高貴な神事として行われた「斎(いつき)」を行う川。清め、禊をするための川なのだ。だから有栖川は「いつきかわ」とも呼ばれ、その流れの近くに「市川」と呼ばれる集落や「市川神社」が存在する。府中の「市川」に、「斎」と直接つながる痕跡はまだ発見していないが、大国魂神社の中に水神社と並んで、字市川にあった神社も遷座されていることを考えると、国府の禊神事に関わりのある川だったという推理は大いに成り立つ。それは下総の市川も同様で、今、真間川と呼ばれている川が「斎(いつき)」のための川で、「いつきかわ=いちかわ」が地名として残ったのかもしれない。ぜひともその痕跡をつきとめに近いうちに千葉の市川にも足を伸ばしてみたい。

なりゆきに任せて飛び石づたいに日々横道にそれて、さまざまな「雑」と出会いながら「偶」を重ねてゆく。するとこうしてコツコツと研究は進んでゆく。これがアカデミックでは味わえない、アマチュアならではの大胆仮説を見つける「自由研究」ではないか。

市川神社にたまたま出くわしてからまだ1ヶ月あまり。佐久間象山に寄り道し、そこから生まれた「偶発コラボレーション」から「ノゲ」「ハケ」「ママ」につながり、「市川」が「地形」と「斎の神事」に関わりがありそうだという「仮説」がこれだけ深まった。

次に府中に行く時は、ママ下湧水とその近くにあるくにたち郷土文化館も訪れ、そこから「市川」沿いに歩いてみよう。きっとまた思わぬ「人」と「モノ」と「コト」に遭「遇」し、自由研究は発展するであろう。

ファミリーヒストリー、日本人のお名前というNHKの人気番組がある。たまに見ることがあるが確かに面白い。自分の名字のルーツを探る本が新聞の折り込み広告やテレビのCMで宣伝されているが、自分の名字の由来を知るということに多くの人は興味を持つ。

しかし、誰かが調べたことをただ受け身で吸収するだけでは、いつまでも情報消費者に過ぎない。ただの物知りにはなれても、自分で好奇心をジェネレートして、自分なりの意味をつくりだしてゆくことはできない。

「市川たんけん」だからと言って「市川」ばかりにこだわらず、「佐久間象山」に出会ったからと言って「象山オタク」にならない。ここがいわゆる「マニア」と「ジェネレーターマインド」との違いかもしれない。知識や情報やモノを収集し熟知することではなく、これまでにない発見や面白い仮説を「つくる」。つまり新たな意味を「つくる」というセンスメイキングが、ジェネレーターを駆り立てる原動力。すなわち「好奇心」なのだ。

そのために、日々、飛び石づたいにひたすら追い続けてゆく習慣がなによりも大切。

「鳥あえず、鳥いれて、鳥逃さず、鳥とめもないことを面白がれ」

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野毛山公園の池でじっと思索にふけっていたアオサギ仙人がそうおっしゃいました。なんとなくこの風貌、象山先生っぽいイメージ。象山先生がのりうつっていたのかもしれない。

市川たんけんは続く。