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書斎でのブレストと

野外でのフィールドウォーク

書斎でのブレストと野外でのフィールドウォークとは、「強制発信」と「偶発感受」という点で違う。

ブレストは、知らず知らずのうちに縛りをかける意識の働きを排除して、ふと思い浮かぶものをすくおうとする試み。そのために、短時間で強制的に数多く吐き出す。

カードをめくったり、サイコロを投げたりして、ランダムかつ偶然に出会った物事について考えざるを得ない状況に追い込むことと似ている。

一方、野に出て歩くフィールドウォークは、あるコンテクスト=場に身を投じ、自分が動く。その際に「なんとなく」の感覚を大事にして、偶発性を生み出す。この偶発的選択の結果、あらかじめ決められていないルートを歩むことになり、その結果、偶発的に物事に出会う。この出会い方はただのランダムではない。微妙に自分の意志が関わっているような感じもするけれど、何か目に見えない力によって導かれているようでもある。なんとも曖昧な感覚だ。

そのうえ、出会う対象も実は動いている。偶発的に進路を変えるということは、カードの中味、サイコロの種類まで変化するようなものだ。

ブレストだと、せいぜい誰とやるかという人との出会いという偶然性が加わる程度。しかし、フィールドウォークは、いくつもの時間の層が塗り重ねられている場、変化の生じている場を通過し、人のみならず、建物、食べ物、動植物、さらには当日の天気、気候、風景など様々な要素が加わる。

コンテクストを形成する元となる範囲は、歩ける範囲として自ずと限定されるが、そこで出会うコンテンツは無限と言ってもいい。さらに、その選んだコンテンツによって、当初のコンテクストの意味も時事刻々と変容していく。

自分の「内側」にある材料を追い求めるのではなく、自分の「内」と「外」の環境とが応答しあい、ともにダンスするような感覚で考えが編まれてゆく。自由でありながら、その日、その場を、ある人たちと歩かない限り出会わない「一期一会」に制約されている。

ランダムに提示される対象に身を委ね、しぼり出すこと。意識的思考や判断を下す前に頭に思い浮かんだことを吐き出すこと。知的ゲームとしてブレストは面白いと思う。

一方で、頭だけでひねり出そうとする窮屈さがある。もっと自然に、素直に、思考を解放することがあってもいい。そのために歩く。なんとなく気になった場所を訪れ、行き先をあらかじめ決めず、ルートを定めず歩いてみよう。身体の声に従い、動いてみると、フィールド=Feel℃ 感度 が自ずと高まり、思わぬものを感受する。

自分が活動するコンテクストはある程度決まっているが、そのコンテクストの中で偶発的に様々なコンテンツに出会う。そのコンテンツは、自分の「外」にあったモノであり、コトである。しかし、そのモノやコトに関心を抱いたのは、自分にとって何かしら意味があると感じとったからだ。感じとることがなければそもそもキャッチしない。そんな「偶発感受」に身を委ねる。

こうして出会った物事とそこから触発されて思い浮かぶ物事を記録し、ただ表現していく。

それが Feel℃ Walk であり、Fantasy Work である。